少なくとも日本でカウンセリングの理論家と言えば思い浮かぶのはカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers:1902-1987)ではないでしょうか。放送大学の「21’心理カウンセリング序説」の中で、多くのカウンセラーが抱くロジャーズ像が本国と異なる日本的変容が紹介されています。そこでは同時に本人自身の幼い時期から「ものの見方」の変容もあり、徐々にカウンセリングのスタイルを確立していった様子が描かれています。
その過程を知ることがロジャーズの「非指示的療法」そして「来談者中心療法」の理解を深めることになると思いました。生意気にもその成長の過程を追ってみたいと思います。
学び直したとあるように、はじめ父の農園を継ぐためウィスコンシン大学の農学を専攻したが、YMCA活動を通じて、キリスト教に興味が移り、牧師を目指すために、転学してマルティンルターを学ぶため史学に専攻を変えた。

この時に農学を学んだことが、後の「人は本来的に成長する力がある」の考えにつながったのではと想像しました。
この後さらにウィスコンシン大学を卒業した2ヵ月後に、妻ヘレンと結婚する。ユニオン神学校に入学するが、牧師を目指す道に疑問を感じ、コロンビア大学の聴講生から大学院に進み臨床心理学を学んだ。



この学業における農業→史学→神学→心理学の次々の変遷は心の変容を表しているとすると、興味の趣くままの姿、勝手に共感しました。自分に正直なんですね。
在学中にニューヨーク州のロチェスターの児童相談所の研修員になり、虐待を受けた児童の臨床にかかわる中でその時のカウンセリングのスタイルを確立したようです。
当初、ロジャーズは学んだ心理学にそって児童の問題を一旦矯正しても、また戻ってしまう様子に直面し、これまでのカウンセリング手法に疑念を抱いくようになりました。
これまでのカウンセリング手法とは
そのころ、フロイト派から離反したアドラーやオットー・ランクの講演(1935年)を聞き、新たなカウンセリングのヒントを得ました。特にランクの出生外傷説という考えに決定的な影響を受けたそうです。
フロイトの「クライエントの生育史の中で如何にゆがんだ人格が形成されるかの原因を探る」よりも、この考え方がより明確にクライエントの不安や恐怖といった神経症を理解することにつながると気付きました。
ここからロジャーズは



ここまでくるとオットー・ランクさんって、ロジャーズにとってなくてはならない存在だったのでは?ロジャーズがランクさんの考え方の属性を取り込むかたちでのご自身の大きな変容と感じました。
このあと、ロジャーズは1939年に「The Clinical Treatment of the Problem Child」を出版しました。そこでは「個人の尊重」と後の「来談者中心療法」のアイデアにつながる発想が含まれているそうです。
コメント