前回まで、ロジャーズは虐待を受けた児童の臨床にかかわる中で、フロイト派の問題を探り出して解釈して介入するというカウンセリング手法に疑念を抱き、オットー・ランクの「人間は生れ落ちて母体を離れたときから、その不安と孤独を何とかしようとひたむきな努力を主体的に能動的に行っている」にヒントを得て「The Clinical Treatment of the Probelem Child」を出版しました。(以降 放送大学「21’心理カウンセリング序説」参照)
さらに1942年に記念碑となる”Counseling and Psychotherapy”を出版し、
その中で、
その主張がうかがい知れるように、カウンセリング由来のクライエントという言葉と心理療法由来のセラピストという言葉を組み合わせて「クライエントーセラピスト」と用いました。(下表)

さらに、これまでがセラピストの態度が「指示的(directive)」であるのに対して「非指示的(nondirective)」である療法を提唱しました。
ガイダンス、教育指導 精神分析、精神医療 | ロジャーズの方法 |
指示的療法 | 非指示的療法 |
教え導く、教育的指導 過去の成育史の欠陥を明らかにする | 矯正では不十分 共感(empathy)の重要性 |
命令やアドバイス、勧告や元気づけ、励まし カタルシス、助言、知性化された解釈 | クライエントの言葉や感情の反射(reflection) クライエントの言葉をそのまま繰り返したり、クライエントの感じている感情を明確化して言葉を伝えること |
この反射(reflection)はクライエントの言葉を鏡のように反射して照らし返すことで、自分の言葉から自分の心の動きを知り、セラピストに承認してもらったと感じることができる。カウンセリングはそのようなクライエントにとって安心な場の容器となり、クライエントは変容していくと考えられます。

やはり農学専攻での植物の成長からヒントを得たんですね。
1951年には”Client-Centered Therapy : Its Current Practice, Implications and Theory”を上梓し、先の「非指示的(nondirective)療法」を「来談者中心療法(client-centered therapy)」と名前を変えました。「非指示的」はセラピスト側の技法であるのに対して、一歩進めてクライエント側の体験への視点に移していきました。
1957年には”The necessary and sufficient conditions of therapeutic personality change “という論文により、カウンセリングにおいて人格の変化が生じるときには、いくつかの条件がそろうことが必要で、その条件さえあれば人格変化が結果として生じるとされました。
その条件とは
- 2人の人間が心理的に接触していること
- うち一方の人、すなわちクライエントは自己不一致の状態にあり、』傷つきやすく不安な状態にあること
- もう一方の人、すなわちセラピストと呼ばれる人は関係性において自己一致し統合されていること
- セラピストはクライエントに対して無条件の肯定的(積極的)関心を体験していること
- セラピストはクライエントの内的参照枠の共感的理解を体験しており、その体験をクライエントに伝えようと努力していること
- セラピストの共感的理解と無条件の肯定的関心をクライエントに伝えること
3,4,5の自己一致、無条件の肯定的(積極的)関心、共感的理解を「ロジャーズの三原則」と強調されることになりました。
この6つの条件は技法として意図的に行うものではなく、本来あるべき人間関係が実現されたところで自然的に生じる現象であるという視点がロジャーズの思想の重要な部分です。
しかしながらロジャーズ来談者中心療法が広がる中で、彼が徹底的に技法やノウハウを示さなかったため、ロジャーズあるいはロジャーズの理論が
非指示的にオウム返しを行えばカウンセリングが成り立つ
自己一致、無条件の肯定的関心、共感的理解がカウンセリングの「技法」である
と誤解されました。



つまり急に世に広まったロジャーズあるいはロジャーズの理論はその理解の誤りにより、ロジャーズ像やロジャーズ理論が一人歩きし、その変容も始まったといえるかもしれません
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