一部で語られたポールの物語(ライフポートレート)を二部では自己構成のプロセスとコンテンツから、次にキャリア構成のプロセスとコンテンツからというニつの異なる視点でライフポートレートを眺めてみます。今回前半では、自己構成について記します。
ポール・デンプシーの自己構成
キャリア構築理論は、個人が出来事の意味を解釈するプロセスと、対人関係プロセスを説明するものです。社会構成主義のの視点で見ると、個人はこれらのプロセスを通して自己を構成(construct)して、社会と適応しながら、仕事の方向性を決め、キャリアの意味を見出します。サビカスは適応を促進するプロセスを明確にするために、認知スキーマとパフォーマンス戦略の二つのコンテンツを網羅したテンプレートを用いますが、その二つを関連付けるためにマクアダムスの自己心理フレームを適用します。
ここでは、自己心理フレームを見出しにしながら、ポールの物語の中の人生の方向性決めるコンテンツをあてはめていきます。

自己構成プロセス
アクター
ポールは、母の死後、ポールは喪失で強烈に苦しんだ少年時代を過ごしました。さらに、母の死によって重要なつながりが断たれました。最も必要とするものを得ることができなかった子どもたちによく見られるように、ポールは一時的に支援を求め、他者との親密さを求めましたが、やがてあきらめました。ポールは、精神的な支えを期待できない父親との付き合い方に苦労しました。そして、ポールは、冷たく、無神経で、拒絶的な父に慰めを求めることをすぐに止めました。
大人になってから、「私は父に何も望まなかったし、何も求めなかった」と言い切ったのは、何度も愛情や助けを求めていたのに、それを意図的に無視した父親に愛情を求めるのをあきらめたことを示しています。父親がポールを慰めなかったことは、母親の死以上に大きなトラウマになっていたかもしれません。母親は亡くなりましたか、父親はそばにいることかできたはずです。しかし、父親は肉体的にも精神的にもポールのそばにいないことを選びました。
親から精神的な支えを得られなかったポールは、体の弱い祖父母を頼りました。次に、ポールを気にかけてくれる叔母を頼りにしましたが、叔母は遠くに住んでいました。次に彼が頼った家政婦は、道徳的な管理者であり、ハグよりも説教をする人でした。
次に、ポールは家の外に目を向けて親密な人を求めました。新しい地域に引っ越す前に、一時的に仲問内に親密さを見つけました。小学校で一人の先生と、中学校ではまた別の先生と、しばらくの間、つながりを経験しました。この二人の先生との関わりは、おそらくボールにとって、自分でも気づかないほど大きなものだったのでしよう。やがて、妻との絆が生まれ、妻とも子どもたちとも深い絆で結ばれるようになったのでした。

しかし、彼女と結婚する前、誰に対しても精神的な依存を避けたいという思いか強くなっていったのでした。思春期になると、ポールは心の支えを求めることをやめ、他人は自分を拒絶するものだという前提で、対人行動をとるようになりました。さらに見捨てられることを避けるために、ポールは親密な関係を避け 、対人関係における愛情を感じないようにしました。ポールは、人格の形成期に一つの結論を得ました。「自分自身は自分のものでしかない」と。もちろん、彼は孤独になるという怖さを理解していました。彼は、自分の力で成功しなければならない、さもなければ決して成功しない、と信じていたのです。ポールは緊密な対人関係や人を頼りにすることに違和感を覚え、世間でよくあるように過剰な愛による罰を受けるよりは、注目されずにほったらかしにされることを好んだのです。
ポールの回避傾向は、特に不安感情が少ないことから、最初は親密さや親しさを否定する反依存、次に自立への強い思い、そして最終的には自立と自制の自信に満ちた感覚を生み出しました。 彼は次のように述べました。「自信をなくしてはいけない。何が起ころうとも、自分を信じなければならない」。そのため、ポールは、満たされない欲求から自分を守るために、〈自分のことはよく考え、他人のことはあまり考えない〉という人間関係のモデルを作り上げました。
アクターとしてのポールは、幼少期を終えるころには、ゴフ(Gough, 1987)がガンマ志向と呼ぶ人格構造をもつようになりました。これは、ポールが他人や対人経験に対する外向的な志向と、社会規範や従来の価値観に疑問を感じる志向を併せ持っことを意味しています。ポールは、自分が革新的で、ずばりと言う傾向があり、多才で、賢いことを知っていました。自分を有能だと判断して、他人を弱く無能だと見下す傾向がありました。しかし、その懐疑的な態度が創造性を生み、新しいアイデアや製品、サービスを生み出し、その分野で最も革新的な経営者の一人であるという評判を得ることができたのです。

〈自分のことはよく考え、他人のことはあまり考えない〉から外向的になるところはしっくり行かないです。ちなみに私は似た境遇ですが、デルタに当てはまりました。ポールとの分岐点なので気になります。
エージェント
ポールは母親から、昇進志向を重視するよう自分を調整することを学びました。後に、神経質な父親のように予防を重視し注意深く生きること否定しました。彼は、自分のやりたいことに焦点をあてて行動しました。新しい状況や冒険に臨む昇進志向を選び、不満足だが現状の安定を維持するという「予防のための目標」 は選びませんでした。彼は戦略として、柔軟性・開放性・好奇心・創造性を優先させました。 このような生き方で、定着すること。確実・慎重に生きること・用心深い分析をするという行動を犠牲にしてきました。
ポールは、快適な対人関係を得るという欲求を抑えて、外交的な活動に集中しました。彼は、「止まっている状態から動く状態」へと変化して「気分を切り替えること」 で慰めを見出しました。ポールのように動き周ることや行動することを好む人は、 しばしば自分自身を「旅人」 (Blatt & Levy, 2003,p.114)と表現します。ポールは、 人生を旅する中で、弱肉強食の世界で自分の適性を繰り返し試されるという試練に 遭遇しました。 このような挑戦や変化にその都度対応・対処してきたので、先見性を持って未来を志向したり、計画的にキャリアに向き合うということができませんでした。戦略的な計画をして準備することを避けて、日々目の前の戦術や工夫を優先したのでしだ。こうしたポールの態度は「成り行きまかせ」だったと言えるでしょう。高校三年生のとき、彼は将来についてこう語っていました「問題が起きたら、その都度対処すればいい。考えるのは体に悪いと思うんです。だから、考えない」。
現在進行形の時間軸から人生を見るポールは、キャリアへの関心や好奇心をほとんど示しませんでした。ポールは、計画的に意思决定することに伴う不安・不確実性・個人的責任を避けて、差し迫った状況になって新たな行動が必要になるまでは、選択を先延ばしにしました。その代わり、解决策を見つけなければいけないときが来ると、強いキャリアコントロールと自信で調整しました。時には快楽主義的な欲望を即時に満足させることに左右されて、反応的・衝動的・または無頓着に行動することもありました。差し迫った要求とその結果に都度左右され、その場しのぎで問題を解決するというアプローチであり、内省するリフレクシブなアプローチとはまったく違ったものでした。彼の人生の歩みは、外的な圧力や偶然の状况によって形作られ、よく計画された意図的なものではありませんでした。もちろん、彼は意思決定をしたのですが、そのようにしたという感覚はなく、多くは希望的観測と緊張を緩和するという防衛的調整に基づいていました。


私は母との記述から昇進志向は見えませんでした。どちらかと言うと父の予防重視のアンチテーゼと捉えます。また柔軟性・開放性・好奇心・創造性は同様とも言えますが、叔母の影響を感じます。
オーサー
ポールは生涯を通じて、さまざまな職業や人生の選択肢に遭遇しました。そして、自分が置かれた状况や運命はすでに决まっていて、自分のカではコントロールできないと考え、選択するときによく考えませんでした。その結果、アイデンティティを確立することよりも、自分かどう評価されるかを重視しました。ポールの戦略は、バーゾンスキー(Berzonsky, 1989)がアイデンティティ処理の回避的スタイルと呼ぶものに似ており、厳格でその場に留まる父親と違って、移動する自由を優先させました。ポールは、人生の歩み方について、彼に否定的な指針を与えた父親とは異なることを選びました。
父親の干渉に抵抗し、父親のいいなりになりませんでした。ポールは父親か一番やってほしくないことをやりました。悪い仲間とつるみ、一晩中外出し、多くの女の子と一夜を共にし、学校から逃げ出すなど、ある種の自由人になっていきました。そして、可能な限り、人の姿が見えない 人の声が聞こえない場所に引きこもり、そこで自由に行動し、自分に迫ってくる世界に気づかないようにすることで、ありのままの自分でいられたのでした。このような行動パターンは、ポールに限ったことではありません。否定的なアイデンティティを持つ人は、通常、不安感や孤立感を促す生育環境の中で育っています。また、このような人は、通常、疎遠で拒絶的な父親を持ちます(Marcia,1980)。
父親を端的に表現するよう求められたとき、ポールが「よそよそしい、冷たい、非保護的、不公平、堅苦しい」と表現したことを思い出してください。ポールは父親のようにならないようにするには、否定的なアイデンティティを選択することが唯一の選択肢だと考えたのでしよう。ポールの反抗と、父親の意に反するアイデンティティを確立しようとする決意は、見せかけの自律性という形で実を結びましたが、予期せぬ代償を払うことになったのでした。
ポールが否定的アイデンティティ戦略を選んだので、アイデンティティ選択の决断をした後も「職業や希望の方向性が定まらない」(Marcia,1980, p181)ことになりました。ポールは長引くモラトリアムの中で生きていたので、自分のことを探求するというよりは自分の置かれている状况を、あまり探求しないで、短期的な、コミットメントを行うようになっていました。(Berzonsky, 2004)。ポールは、否定的なアイデンティティと長いモラトリアムのせいで、積極的に自己調整して人生の目標を決定し、未来を計画して意味ある首尾一貫したキャリア統合する、ということを達成できませんでした。
父への否定的なアイデンティティの影響は本当に大きかったようです。特に優しかった母との反動もあったかもしれません。ここで父が不在だった私が時間はかかりましたが自己調整した違いの理由が判りました。





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