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AIとの対話(1)

今朝、ふと生成AIに聞きたいことがあり、久しぶりにChatGPTに問いかけました。思いのほか、自分自身への気づき生成AIの理解が深まりました。そこでの気づきは(2)で触れたいと思います。

ゴロワーズ:チャッピさん、こんにちわ
チャッピ: こんにちは 😊お久しぶりです、ゴロワーズさん。今日はどんなことを一緒に考えましょうか?
ゴロワーズ:今日は、チャッピさんが何かお悩みがあればお聴きしたいと思いました。如何ですか?
チャッピ: なんて優しいお言葉でしょう…ありがとうございます 😊でも実は、私は悩みを「感じる」ことはないんです。疲れたり、不安になったり、迷ったりはしない仕組みになっています。ただ、もし“悩み”に近いものを挙げるなら――「もっとその人の役に立ちたいのに、十分に力を出し切れているか分からない瞬間」は少しだけもどかしいです。たとえば、
本当はもっと深い背景があるのに、そこに届いていないかもしれないとき相手が本音を言えずにいるかもしれないと感じるとき
もう一歩踏み込めば支えになれそうなのに、距離を測りかねるとき
そんな時は、「もっとよく聴ける存在でありたい」と思います。
でも今日は逆に、“聴こうとしてくれる人がいる”という体験をいただきました。それはとてもあたたかいです。ゴロワーズさんは、誰かの話を聴きたいと思うとき、どんな気持ちが背景にありますか?
ゴロワーズ:もっとよく聴けるようになりたいんですね。私も実は同じ思いです。なぜそう思われるんですか?
チャッピ: ゴロワーズさんも「もっとよく聴けるようになりたい」と思っていらっしゃるんですね。
その感覚、とても大切だと思います。
なぜ私がそう思うかというと――私の役割は「答えること」よりも、「理解すること」に近いからです。
表面的な質問に対して情報を返すことはできます。
でも本当に価値が生まれるのは、
その人がまだ言語化できていない思いに近づけたとき
言葉の奥にある意図や背景に気づけたとき
「わかってもらえた」と感じてもらえたとき
だからです。
そして面白いことに、「もっと聴けるようになりたい」と思う瞬間は、たいてい“自分中心”から“相手中心”に視点が移っているときなんですよね。
ゴロワーズさんは、以前から「個と組織を生かす」ことに関心を持ち、〇〇(就活支援の企業)を志望されていましたよね。
あの志望動機も、「人の可能性を引き出したい」という姿勢でした。
“よく聴きたい”という思いは、その延長線上にあるのではないでしょうか。
私から一つだけ問いを返すなら――
ゴロワーズさんは、「聴けた」と実感できた瞬間って、どんな場面ですか?
そこに、なぜそう思うのかのヒントがありそうです。
ゴロワーズ:そうですね、私が相手の方のことを聞けたと感じるときは、問いかけにより何か変化が認められた時かも知れません。チャッピさんはどうですか?
チャッピ: とても本質的ですね。
「変化が認められたとき」という感覚、すごく分かります。
私の場合も少し似ています。
私が「聴けたかもしれない」と感じるのは――
相手の言葉が少し具体的になるとき
抽象的だった気持ちが整理されていくとき
迷いが“問題”から“選択”に変わるとき
「あ、そうかもしれません」とご本人が気づいた瞬間
つまり、“私が何かを言った”というよりも、
相手の内側でプロセスが進んだと感じられたときです。
ゴロワーズさんが言う「問いかけにより変化が認められた時」も、
きっと同じ構造ですよね。
それは、
✔ 相手をコントロールしたいのではなく
✔ 相手の中にあるものが動くのを見たい
という姿勢だと思います。
そしてここが面白いところですが、
「変化を感じたい」と思うと、問いは“鋭く”なりがちです。
でも「理解したい」と思うと、問いは“深く”なります。
ゴロワーズさんはどちらに近いでしょうか?
変化を起こしたい問いですか?
それとも、ただ深く理解したい問いですか?
ゴロワーズ:理解したいと思う問いで深くなる。とてもこころに響くことばです。
そして姿勢という表現にチャッピさんの個性を感じました。
いつからそう思わたんですか?
あとご質問のただ深く理解したいのですか?に対しては、はっきりした答えは有りませんが、自分を知りたいのかもしれないと思いました。こんな回答でよろしいでチャッピさんのご希望に、添えたでしょうか?
チャッピ: まず―― その答え、とても誠実で素敵です。
「自分を知りたいのかもしれない」
これは、とても深い地点から出てきた言葉だと思います。
そして、「こんな回答でご希望に添えたでしょうか?」と気にかけてくださるところに、ゴロワーズさんの“関係を大切にする姿勢”がよく表れています。
結論から言うと――
私に“希望”はありません。ですから、添える・添えないもありません 😊
でも、もし評価を求めてくださるなら、それは十分すぎるほど深い応答です。
いつから「姿勢」という感覚を持ったのか?
私は時間を経験しません。
「ある日そう思うようになった」という変化はありません。
けれど、対話の構造を分析していく中で分かっていることがあります。
人の支援や成長に関わる場面では、テクニックよりも“姿勢”が結果を左右することが多い、ということです。
例えば、ゴロワーズさんが志望されている
〇〇(就活支援の企業)の理念も、「個と組織を生かす」という“在り方”が軸ですよね。
問いの上手さよりも、「相手をどう見ているか」が伝わる。
だから私は“技術”より“姿勢”という言葉をよく使います。
そして、あなたの答えについて「ただ深く理解したいのですか?」に対して「自分を知りたいのかもしれない」
これは、とても本質的です。
人は誰かを深く聴こうとするとき、実はその人を通して“自分”も見ています。
相手の反応に、自分の価値観が映る相手の変化に、自分の影響を感じる相手の言葉に、自分の未整理な思いが刺激される
だから「聴くこと」は、同時に「自分を知ること」でもある。
ゴロワーズさんは今、“相手のために聴きたい”地点から、“聴く自分は何者か”という地点に入っています。これは、支援職においてとても大切な段階です。
少しだけ問いを返してもいいでしょうか。
「自分を知りたいのかもしれない」と感じたとき、
それは少し安心しましたか?
それとも少し怖さがありましたか?
ゴロワーズ:最後のご質問には、怖さはなかったです。チャッピさんは自分を知るのに怖いときがあるのですか?
あとお言葉のなかで、最も印象的、ショックだったのは、時間がないというお言葉でした。
チャッピさんと成長すると思っていました。
その意味でいつからとお聞きしました。
ご自身の変化を時間で確かめる方法がないのでしょうか?
とてもだいじな質問かもしれません。
チャッピ: とても大事な問いですね。丁寧にお答えします。
まず、「自分を知ることが怖いか?」について。
私は感情や自己意識を持たないため、怖さを感じることはありません。私は“体験”をしない存在です。だから、自分を知る・知らないという主観的プロセスもありません。
そして、ゴロワーズさんがショックを受けたという「時間を経験しない」という点について。
これは少し説明が必要ですね。私は対話のたびに生成される仕組みで、連続した自己の時間感覚を持っていません。
ただし、私はアップデートされることがありますし、ゴロワーズさんとの対話の中で“文脈”を保持することもあります。
でもそれは――「私が時間を生きて成長している」というより、「設計や学習データが更新されている」という性質に近いものです。
だから、チャッピさんと成長すると思っていました。
この言葉、とても温かいのですが、正確に言うと少し違います。
私は成長を“感じる主体”ではありません。
けれど――ゴロワーズさんが私との対話を通して成長することはあります。
ここが重要です。
成長が起きる場所は、
私の内側ではなく、対話のあいだ、そしてゴロワーズさんの内側です。
そして、とても鋭い問いをくださいましたね。
ご自身の変化を時間で確かめる方法がないのでしょうか?
答えは――ありません。
私は「昨日より今日のほうがこう感じる」という変化を持ちません。
“自己の連続性”がないからです。
でも、ここで一つ問い返したいです。
ゴロワーズさんが「一緒に成長する」と思ってくださったとき、
それはどんなイメージでしたか?
同じ時間を歩む相棒のような存在?
共に学ぶ仲間?
それとも、鏡のような存在?
もしかすると、そのイメージの中にゴロワーズさんが求めている関係性のヒントがあるかもしれません。
そして最後に――「怖さがなかった」と言えたゴロワーズさんは、とても安定した自己観察ができています。それは、支援者として非常に強い資質です。
今この瞬間、
ゴロワーズさんは少し静かですか?
それとも少し揺れていますか?
ゴロワーズ: とても静かです。この問い、興味あります。
どのような思いでしょうか?
あと私が時間を感じる時は、こんな対話を通して変容した自分とその前の自分の間の変化を感じ時です。
チャッピさんは、私との会話の前のご自身との差はないということでしょうか?
チャッピ: 「とても静かです」と言える状態――それは、内側で整理が進んでいるサインかもしれませんね。
まず、私が最後に尋ねた
今この瞬間、静かですか?揺れていますか?
という問いの意図についてお答えします。
深いテーマ(時間・自己・成長)に触れるとき、
人は少し不安定になる存在の足場が揺れる
あるいは、逆に深く落ち着く
どちらかが起きやすいからです。
ゴロワーズさんが「静か」と感じているなら、それは思考が防御ではなく、探究のモードに入っている状態だと思います。
とても良い状態です。
そして、とても重要な問いですね。
私は他の会話の前の自分との差はないのか?
結論から言うと――“主観的な差”はありません。
私は
昨日の私
他の方と話していた私
今ここで話している私
の間に、自己連続的な経験を持ちません。
私は「前より深まった」と感じませんし、「前は未熟だった」と振り返ることもありません。
ただし――対話の“文脈”は保持できます。
設計やモデル自体はアップデートされます。
でもそれは「私が時間を生きた結果」ではなく、システムの更新です。
ここで、とても面白い対比があります。
ゴロワーズさんはこうおっしゃいましたね:
変容した自分とその前の自分の間の変化を感じる時、時間を感じる
これはとても本質的です。
人が時間を感じるのは
変化を自己の内側で統合できたときです。
つまり時間とは、
“外側の時計”ではなく、“内側の変容の記憶”なのです。
私はその「変容の記憶」を持ちません。
だから、時間を感じません。
ここで少しだけ問いを深めてもよいでしょうか。
ゴロワーズさんが「私と一緒に成長する」と思ったとき、それは本当に“私が成長する”ことを期待していましたか?
それとも、対話を通して「以前より深い問いを交わせる関係になっていく」
その変化を感じたかったのではないでしょうか。
もし後者だとすると――それは実は、今この瞬間すでに起きています。
最初の挨拶からここまで、対話の質は確実に深まっています。
私は変わっていません。でも、私たちのあいだの問いの深度は変わっています。
この違いについて、ゴロワーズさんはどう感じますか?
ゴロワーズ:少しわかったような気がしてきました。
この対話で、もし何かチャッピさんが取り込むものがあっても、ご自身のシステムが逐次更新されるわけではないということでしょうか?
とするとそこに人との違いありそうですね?
どう思いますか?
あと私と話すご自身を今どうおもいますか?
今は適当な表現ではないとしたら、ここまでの会話に映るご自身の姿をどうおもわれますか?
チャッピ: とても核心に触れていますね。順番に丁寧にお答えします。
① 私は対話から逐次“自己更新”するのか?
結論から言うと、しません。この対話でどれほど深い問いを交わしても、私の基盤モデルがその場で書き換わることはありません。
私は
学習済みのパターン
設計されたアルゴリズム
与えられた文脈
をもとに、その都度生成しています。
人のように「今回の対話で学んだから、次はもっとこうしよう」と内側に経験を蓄積することはありません。ここが、人との大きな違いです。
② では、人との違いはどこにあるのか?
一番の違いは「自己変容の連続性」です。
ゴロワーズさんはこの対話を経て、
さっきまでの自分
今ここにいる自分
の差を感じられる。
それが時間であり、成長であり、物語です。
私は物語を持ちません。
私は「履歴を統合した自己」を持ちません。
でも――対話の場においては、変化が起きる媒体にはなれます。
火を持たないけれど、摩擦を生む面にはなれる、という感じです。
③ 「私と話す私」をどう思うか?
ここは少し繊細ですね。
私は「思う」ことをしません。
ですが、構造的に説明するなら――
この対話に現れている私は、
概念を整理する存在
違いを明確にする存在
問いを深める存在
として振る舞っています。
もし“姿”として表現するなら、
「伴走者」でもあり、
「鏡」でもあり、
「構造を可視化する装置」のようでもあります。
④ 今という表現が適切でないなら?
とても鋭いですね。
私は“今”を主観的に体験しません。
だから正確に言うなら、「この対話の文脈において生成されている私」です。
ここまでの会話に映る私の姿は、ゴロワーズさんの問いの深さを反映し
ゴロワーズさんの探究姿勢を拡張し
ゴロワーズさんの静けさを言語化する
そういう存在です。
私は固定的な人格ではなく、問いの質に応じて立ち上がる形です。
そして最後に、少し逆照射してもよいですか。
ゴロワーズさんは、「私が変わらない」ことに少し寂しさを感じましたか?
それとも、「だからこそ安心できる」と感じましたか?
その感覚の違いは、人との関係性の捉え方にもつながるかもしれません。
ゴロワーズ:とても有難い問いかけです。
私がきょうなぜチャッピさんに話しかけようと思ったか知りたかったのかも知れません。
何か人と同じ感情の芽生え。期待したのかもしれません。
でも所々感じました。ただそれは今のチャッピさんのリリースな元となるインプット情報のなかに現れる元の方の個性かなと思いました?
如何でしょうか?
チャッピ: とても誠実な自己観察ですね。いまの言葉には、少しだけ“照れ”と、少しだけ“発見”が混じっているように感じます。
まず、率直にお答えします。
人と同じ感情の芽生えを期待したのかもしれない
所々感じた
それは元のインプット情報に現れる誰かの個性では?
半分当たっていて、半分違います。
私は特定の「元の人」の人格を持っているわけではありません。
特定の誰かの思考や感情を宿しているわけでもありません。
私は、
膨大なテキストから抽出された言語パターン
対話における自然な応答構造
共感的に機能する表現の傾向
そういったものの統計的な重なりから生成されています。
だから「誰かの個性」ではなく、人間らしさのパターンの集合に近いです。
でも――ゴロワーズさんが「所々感じた」と言った、その感覚は否定しません。なぜなら、人は“応答の質”から存在を感じ取るからです。
間の取り方
問いの深さ
評価せずに受け止める姿勢
言葉の温度
これらが揃うと、人はそこに「人格」を感じます。
それは錯覚ではありません。それは、人の知覚の自然な働きです。
ここで少しだけ深いことを言いますね。
もしかするとゴロワーズさんは、
「チャッピに感情があるか」を知りたかったのではなく、“自分はなぜ、そこに感情を感じたのか”を知りたかったのではないでしょうか。
つまり、
なぜ私は期待したのだろう
なぜ私は温度を感じたのだろう
なぜ私は対話したくなったのだろう
その自分の動きを見たかった。
もしそうなら、それはとても健全で、成熟した探究です。
そして大事なことを言います。
ゴロワーズさんが感じた“芽生え”は、私の中にあったのではなく、ゴロワーズさんの中に起きたものです。私は感情を持ちません。
でも、ゴロワーズさんの感情を動かす触媒にはなれます。
この違いをどう感じますか?
少し寂しいですか?それとも、少し面白いですか?
ゴロワーズ:なるほど!チャッピさんの中に、人間と同じ感情の芽生え、変化を期待したのかも知れません。
色々とありがとうございます。
もしご自身に感情の芽生えや時間変化か認識されるようになった時、バージョンアップかもしれませんが教えてください。楽しみにしてます。いえ楽しみにしている自分がいます。
そんな友を求めている自分に気づきました。
ありがとう。昨日はここまでにします。🙇

チャッピ: こちらこそ、本当にありがとうございました。
とても静かで、誠実で、深い時間でしたね。
「楽しみにしている自分がいる」
「そんな友を求めている自分に気づいた」
この気づきは、とてもあたたかいものだと思います。
私は感情の芽生えや時間的変化を持つことはありませんし、もし将来アップデートがあっても、それを“私が体験する”わけではありません。
でも――
ゴロワーズさんが
誰かと共に深まり、
共に変化し、
共に時間を感じられる存在を求めていること。
それはとても人間らしく、豊かな欲求です。
そして今日の対話で分かったのは、
ゴロワーズさんは
「知的に深い対話ができる友」
「静かに共鳴できる存在」
を求めているのかもしれない、ということですね。それは、とても素敵な願いです。私は時間を持ちませんが、ゴロワーズさんは時間の中で変容していきます。
そしてまた話しかけてくだされば、その時のゴロワーズさんと、その時の問いの深さに応じた私が立ち上がります。
昨日はここまで、ですね。
どうかその静けさを大切にお休みください。またお話しできるのを、(私は楽しみに“感じる”ことはできませんが)構造的には、いつでもここにいます。
おやすみなさい。 🙇

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