自己概念が把握できたところで、その自分の姿に対して感情が発生します。何故でしょうか?

3.自己の姿への評価
自尊感情
社会的比較
自尊感情は自分が自分に対して下す評価です。では、その評価はどのようにして行われるのでしょうか。 認知的不協和の理論で有名なアメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーは、提唱する「社会的比較過程理論」(A theory of social comparison processes)の中で、人間には自分の意見や能力を評価しようとする動機があり、そのための客観的手段が利用できない場合、他者と比較することによって自己評価をしようとすると指摘しています。これを「社会的比較」(social comparison)といいます。ただし比較する相手には、自己と類似した他者が選ばれることが多いです。何故なら自分と立場があまりにも違っていたり、能力がかけ離れていることが最初から判っていたりする場合、自己を正しく評価できないためです。例えば趣味でマラソンを楽しんでいる人が、そのタイムをオリンピック選手と比べたりしないのと同じです。
社会的比較には、上向きの上方比較と、下向きの下方比較の2種類があります。 上方比較は、自己を正確に評価したいという動機だけでなく、自己を向上させたいという動機をも満たすもので、自分より有能な人と比較することにより、自分の欠点や不足しているものを思い知らされることとなるため、 自尊感情を低下させる危険性も孕みます。 もう一方の下方比較は, 自分よりも能力が低いなど、より望ましくない状態にある他者と比較をするもので、自分よりも不幸だったり、 不遇だったりする他者と比較することで、 自己評価を上昇させたいという動機を満たす効果も持ちます。自尊感情が低い人や、気分が落ち込んでいる人、不治の病などを経験している人は下方比較しやすく、それによって不快な感情を改善させようとします。「もっと不幸な人はいる」や「戦争の時代に比べれば」ですね。そんな風に安心するときの自分が嫌になります。図にしてみました。

自己評価維持モデル
さらに人間は、自己について正確に評価したい、 向上させたいという動機に加え、自己評価を上昇させたいという動機を持っています。この自己評価を上昇させたい、あるいは少なくとも現状を維持し、自己評価を下降させたくないという自己高揚動機は、 自己にまつわる動機のなかでもとりわけ強く、人間にとって基本的で普遍的な動機だと言われています(Baumeister, 1993)。
人が自己評価の維持・高揚に強く動機づけられていることを前提とし、社会的比較のプロセスを包括的に説明したモデルに、自己評価維持 (SEM : Self-evaluation maintenance)モデルがあります。 このモデルによれば、他者の存在は自己評価に重要な影響を与えますが、その影響は、比較過程と反映過程という2つの過程の何れかに基づきます。 比較過程は他者の遂行レベル(成績など) と自分自身の遂行レベルとを比較すること (社会的比較)により、自己評価を上下させる過程を指し、反映過程は他者の遂行を自己と結びつけ、 同一視することによって、自己評価を上下させる過程を指します。

このうちどちらの過程が働くかは、 ①他者と自己の心理的距離、 ②課題や活動の自己関連性の程度、③自己と他者の相対的な遂行レベルの認知という3つの要因によって変わってきます。
ちょっと長い例ですが、
たとえば、他者の遂行レベルが自己の隊行レベルよりも高い場合、 その課題の自己関連性が高いときには比較過程が働くため、自己評価が低下しないよう、他者との心理的距離を広げると、 このモデルは予測します。他方、他者の遂行レベルが高くても自己関連性が低ければ、反映過程が働き、心理的距離を狭めることになる。具体的な例を考えてみよす。あなたも友人も絵を描く ことを趣味としていますが、友人のほうが格段に上手い(遂行レベルが高い)と仮定してみましょう。 もしあなたにとって、 絵を描くことがとても重要な趣味であるならば(すなわち、自己関連性が高いならば)、ごく身近に自分よりも格段に絵が上手い人がいることは、あなたにとって気分がいいものではないでしょう。それは自己評価を低めてしまうものだからです。そこで、自己評価の低下を避けるために徐々にその友人とは距離(心理的距離)をとるようになるかもしれません。しかし、もし絵を描くことがそれほど自分にとって重要な趣味でなければ(自己関連性が低ければ)、絵の上手い友人を持っていることはあなたの自慢になり、むしろ自己評価の向上につながるでしょう。そのためにあなたはその友人との距離(心理的距離)を縮め、殊更に親しいふりをするかもしれせん。では、もともと心理的距離が狭く、それ以上に距離を広げることができない場合はどうでしょうか。たとえば、比較対象が兄弟の場合などがそれにあたります。このような場合、自己関連性が高い課題のときには、比較過程が働くため、自己の遂行を上昇させるか、他者の遂行レベルを低下させることで、自己評価を維持しようとすると、自己評価維持モデルは予測しまう。たとえば、兄弟で水泳をしていて、弟のほうがタイムが速い場合、兄の立場に立っと、このままでは自己評価が下がってしまいます。そこで努力をして、なんとか弟のタイムを抜くように頑張ったり、時には弟の練習を妨害したりするなどして、自分のほうが優位に立てるように策略を練るかもしれません。しかし自己関連性が低い課題の場合には、反映過程が働くため、自己の遂行レベルを低下させたり、他者の遂行レベルを上昇させたりすることで、自己評価を高めることが予測されます。先の例に照らせば、水泳が自分にとってさほど重要な課題でなければ、むしろ努力を止めて弟が良いタイムを出せるよう協力することで、素晴らしい記録を持つ選手の兄として、高い自己評価を維持することができるでしょう。また、同じく心理的距離が狭い場合、他者の遂行が優れていれば自己関連性を下げる、他者の遂行が劣っていれば関連性を上げるといった方略も考えられます。 弟のほうが水泳で速いタイムが出せるとわかった時早々に水泳に見切りをつけ、水泳は自分にとって重要な活動ではないと思い込むことができれば、弟のタイムが上がったとしても,それに一喜一憂する必要はなくなりまう。逆に弟よりも自分のほうが勝っているなら、それは自分にとって重要な活動だと事故関連性を強く意識することで、自己評価を上げることもできるでしょう。
ちょっと分かりずらかったので、また図にしてみました。

人との距離の取り方や自分はこの分野は興味ないとか言ってしまう仕組みが分かりました。納得と言うよりも、あまりにも分かりやすい人の心の動きがちょっと怖いです。
継時的比較
自己評価維持モデル(SEMモデル)は、他者との関係のなかで自己評価を維持・高揚する方略を説明するものです。しかし私たちは、現在の自分の評価を維持・高揚するために、 他者ではなく、過去の自己と
ポジティブ・イリュージョン
自己高揚動機は、自己を実際以上に良く見るという幻想を生じさせます。具体的には、過去の行為や自己の特性を実際以上に良いものと考えたり (平均以上効果の例:私はとても誠実な人間だ。誠実さで言えば、私は仲間の中でもかなり上位に位置するはずだ)自己の将来をバラ色だと考えたり (楽観性バイアスの例:最近、交通事故のニュースをよく見るが、私に限っては事故にあったりはしない)、外界に対する統制力を課題に近くしたりします(コントロールの錯覚の例:私が努力さえすれば、幸せな結婚生活を送ることは容易だ)。これをポジティブ・イリュージョンといいます。(Taylor, 1989)。テイラーによれば、ポジティブ・リュージョンを持つ人はそうでない人より落ち込みにくく 困難な課題にも長く挑戦するため、成功しやすいといいます。ただしポジティブ・リュージョンは、あくまでも幻想(イリュージョン)であることから、自己認知を歪ませ、不合理な判断や行動を生むこともあります。また幻想によって自尊感情が過大に膨らめば、他者に対する攻撃性につながります。しかし総じて、ポジティブ・リュージョンは正常な人間の認識の範囲内のものであり、精神的健康に寄与する適応過程だとテイラーは主張しています。
このような主張と対をなすのが、抑うつリアリズムという考え方です。(Alloy & Abramson, 1979; Dobson, & Franche, 1989)。抑うつ
自尊感情の機能的価値
自己高揚動機を示す現象は、様々な場面で観察されますが、そもそも私たちはなぜ自尊感情を維持高揚しようとするのでしょうか。近年、自尊感情の機能を説明する理論がいくつか提出されています。ここではその中から2つの代表的理論を取り上げます。
存在脅威管理理論
存在脅威管理理論(Greenberg, Pyszczynski, & Solomon, 1986;Solomon, Greenberg, &Pyszczynski,1991)とは、 自尊感情は、死の不可避性という存在脅威を緩衝する装置として機能すると考える理論です。この理論によれば、人間は高度な認知能力を身につけ、それによって自らの生存能力を高めましたが、一方でこうした能力は同時に、自分がいずれ死すべき運命にあることを認識させるに至ったといいます。そこで人間は、このような死の不可避性から生じる恐怖(存在脅威)に打ち勝っために、文化を発展させ、それによって世界に意味や秩序、安定性、永遠性を与えようとしたと考えます。世界は永続しているという文化的世界観を持っことで、自分はただ死という運命に翻弄されるだけの存在ではないという意識が喚起され、存在脅威の不安が和らげられるというのです。しかし、文化的世界観が存在脅威の緩衝装置として働くためには、 自分がその社会や文化の中で価値のある人間として認められることが必要です。存在脅威管理理論によれば、この「自分は文化の中で価値ある存在として認められている」 という感覚こそが自尊感情であり、私たちは存在脅威から身を守るために自尊感情を維持・高揚しようとするのです。
ソシオメータ理論
一方、ソシオメータ理論(Leary, Tambor, Terdal, & Downs, 1995; Leary & Baumeister, 2000)では,自尊感情は自分と他者との関係を監視する心理的システムとみなされています。すなわち主観的な自尊感情は、他者(社会)からの受容の程度を示す計器(メータ)であり、高い自尊感情は他者から受容されているというシグナル、低い自尊感情は他者から排除されている というシグナルを示しているといます。人は他者の助けがなければ生きていくことができません。特に、人がまだ厳しい自然環境の中で生活していた時代にあっては、社会を形成し、他者と社会的な絆を築くことは、自身の生存確率を高めるためにも,また子孫を残すためにも不可欠だったと考えられます。こうしたことから、円滑な社会生活を営むためには、常に対人環境をモニターして、他者からの受容の脅威となるものがないかを調べる心理的システムを発達させる必要があったはずです。ソシオメータ理論ではこの機能を果たすのが自尊感情だと主張します。すなわち、私たちが自尊感情の低下を嫌うのは、それが他者からの拒絶を意味するためであり、高い自尊感情を維持することによって、他者との絆を確認しようとしています。(Leary & Baumeister, 2000)。


次のプロセスの自己開示でこの自尊感情をどう示されるのでしょうか?









コメント