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底流に流れるもの(2)

「底流に流れるもの」では、時代を超えて、様々な理論の底流として流れるような共通の考えを切り出しています。

今日は、ジャン・ピアジェの発生的認識論同化と調節とフェスティンガーの認知的不協和、ロジャーズとヒギンズの不一致を取り上げたいと思います。

同化と調節(ピアジェ)

その前に、ジャン・ピアジェの来歴をwikiから少しだけ引用します。

1896年にスイスのヌーシャテルに生まれ、中世文献学の教授の父親と信仰に厚い母親との間で、プロテスタンティズムの雰囲気で育てられました。彼は早熟で、生物学に早くから興味を示し、10歳で白スズメについての観察を論文にまとめ、「ヌーシャテル博物学雑誌」に発表したところ、ヌーシャテル自然史博物館の館長のポール・ゴデーに認められ、彼の元で学校の放課後非常勤の助手を勤める機会を与えられました。特に軟体動物に関心があったそうです。ヌーシャテル大学動物学科を卒業し、理学博士号を取得後、生物学と認識論を結びつける接点としての心理学を学んだそうです。その後、児童心理学講座の教授を務め、知の個体発生としての認知発達と、知の系統発生としての科学史を重ね合わせて考察する発生的認識論(genetic epistemology)を提唱し、教育理論における構成主義、子どもの言語、世界観、因果関係、数や量の概念などの研究を展開しました。

「軟体動物」に関心を持ったところからスタートしたところと、提唱した発生的認識論の最初の段階の感覚運動段階で「主に身体を使って手探りで外界と関わる」に近いものが感じ取れるところが興味深いです。

 このピアジェの発生的認識論(認知発達論とも呼ばれます)は、人の思考過程がどのように獲得されるかに関する理論です。発達段階は以下の4段階に分け

感覚運動期(0~2歳ごろまで)ことばの使用によらず、自分の目の前にあるものを見たり触れたりすることによって、自分をとりまく外界と自らの認知の適応をはかる時期
前操作期(2歳ごろ~7歳ごろまで)実物によらなくとも、言葉などを用いた知的活動が可能となるが、具体物の見えに影響され、理論的思考は十分に行われない時期
具体的操作期(7歳ごろ~11歳ごろまで)具体物や具体的状況においてのみ論理的思考が可能である
形式的操作期(11歳ごろ~)帰納、演繹など、言語や記号を用いた抽象的な論理的思考が可能となる時期

(放送大学 発達心理学概論テキスト)

何れの段階でも、

  • 同化 外界の新たな対象を既に持っているシュマ(認識の枠組み)に取り込む
  • 調節 同化が上手くいかないときは自分のシュマを変化させ適応しようとする

の二つを繰り返すことで、認識を安定化しようとする均衡化を行いながら認知を発達させるという理論です。

認知的不協和(フェスティンガー)

レオン・フェスティンガーの来歴も少しだけ、

1919年、両親はもともとロシア系ユダヤ人で、アメリカへ移民し、レオンがニューヨークで誕生した。1939年、ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒業。1942年アイオワ大学で博士号を取得。 「社会心理学の父」と呼ばれるクルト・レヴィンにアイオワ大学で学び、影響を受ける。アイオワ大学、ロチェスター大学、マサチューセッツ工科大学、ミネソタ大学、ミシガン大学、スタンフォード大学にて教壇に立つ。

社会心理学の父でTグループを生んだクルト・レヴィンに学んだところが興味あります。何時か詳しく知りたいです。

レオン・フェスティンガーによって提唱された認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語です。

  • 人は自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態には不快感を表す(認知的不協和
  • 人は認知的不協和を解消するために、矛盾する認知の定義を変更過小評価自身の態度や行動を変更する

ここで、

この認知的不協和の「自身の認知」と同化の「シュマ(認識の枠組み)」、さらに認知的不協和矛盾する認知の定義を変更」が調節(自分のシュマを変化させ適応しようとする)と共通する点に気づきました。

発生的認識論では、シュマを変える方法のみですが、認知的不協和では認知の定義を変更以外にも過小評価したり、自身の態度や行動を変更するといった適応も現れている点が面白い点です。

過小評価の例は、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」でキャリアコンサルタントの論文でも出てくることがあります。

イソップ物語「すっぱい葡萄」概要
 お腹を空かせたキツネは、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことはなく、キツネは、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。

この解説に、「人は出来事に遭遇し、何らかの意味を受け取ります。その受け取った意味は、相談者が以前から持っていた「モノの見方、考え方」と一致せず、(借り物の)自己概念が揺らぎます(つまり「悩む」のです)」とあります。

この辺りの、同化できない場合の感情の発生に関しては、以前投稿したロジャーズやヒギンズの不一致ともつながるかも知れません。キツネの行動は、跳躍力のある「理想の自己」に対して、木の高いところに届かない情けない「実際の自己」の不一致から「怒りと悔しさ」の感情が生まれたのではないでしょうか?

発生的認識論の「調節同化が上手くいかないときは自分のシュマを変化させ適応しようとする)」のように思ったほど跳躍のない実際の自己にシュマの調整が上手くいかないケースかと思います。そこで狐は、自身ではなく、葡萄に焦点を変えて、葡萄を酸っぱくてまずいと、認知的不協和の「過小評価」と言う行動による適応を行ったと見ることが出来るかもしれません。

不一致(ロジャーズとヒギンズ)

キャリアカウンセリングの最も高名なロジャーズが “The Necessary and Suffcient Conditions of Therapeutic Personality Change”で、提唱した6つの条件のなかの、相談にみえる「クライエントは不一致の状態in a state of incongruencen a state of incongruence)にあり、脆弱であったり不安であったりします。」と述べています。ロジャーズのあげる不一致は、自分で思っていた理想の自己と経験に映る実際の自己の間の不一致の意味かと思います。

さらにヒギンズ(Edward Tory Higgins)は、この不一致に関して様々な角度から分析を行い自己一致理論を提示してくれています。自分の視点に関して、自分で思う自己と他者から視点を意識した自己の2つの角度と、「理想の自己」と「あるべき自己」の2種類の内的枠組みです。この組み合わせにより、感情が「失望」「不満」「恐怖」「罪悪感「自己軽蔑」「不安」など様々になります

  • 実際の自己」と「理想の自己」の不一致は、失望や不満といった落胆に関連する感情を生む
  • 実際の自己 」と「あるべき自己」の不一致は、罪悪感や不安といった動揺に関連する感情を生む

経験に映る「実際の自己」がピアジェの「外界の新たな対象」あるいはフェスティンガーの「別の矛盾する認知」で、「理想の自己」がピアジェの「シュマ」でフェスティンガーの「自身の認知」と見ると相通ずるテーマを感じました。

まだまだ、底流として流れるような共通の考えはありそうです。

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